2.







それが今朝の明け方だ。それから一睡もできずに耳をそばだて続けた俺は、休みだというのに誰よりも早く食堂に顔を出した。

「・・・早いねぇ」
湯気の向こうでおばちゃんが笑う。
「ふぁい・・・俺今日休みなんだけど」
「出かけるのかい?」
「いや・・・そんな気分じゃないんだけど・・・」
味噌汁の大鍋の向こうの、おばちゃんと話しているといかにもこれが現実だという心持になった。ハイ、葱もきざんだよと椀に味噌汁をよそってもらいながら俺はぼんやりする。今からなら安らかに眠れそうだった。そうだ休みなんだからコレ食ったらすぐ寝よう。あれはゆめだったんだあ・・・   卵焼きに箸を刺したところで嫌な予感が隣に座った。沖田隊長。休日ほど早起きなこの人。休みが被ってるっていうのは知っていたから逃れるために小細工をろうするはずが。
「遠出するからつきあえよ山崎」
はい来た。
「・・・嫌です」
「お前はぱっと行ってぱっと帰って、またぱっと迎えにきてくれりゃいいんだよ」
「やーですもーいっつも・・・自分で運転してってください」
「ダメだ帰りは飲むから」
のんだらのるな、のるならのむな、だろィ。
その前に未成年でしょアンタは。
人目を引く上に仕事でなければだらだらと物を食べながら歩くアンタは、みかけるたびにぎょっとさせられる。絶対変人だと思われてる。
「・・・わかりましたよ。格闘技ですか・・・」
「温泉」
「・・・」
「の近くに名所があるんだってよ」
自殺の。心中するってんで結ばれない男と女が温泉でしっぽりしてから適当な枝を選んで・・・。
沖田さんの趣味のひとつはそういう場所に行ってみる事だ(悪趣味な)。成仏しきれない足のないやつが出てきたら一匹捕まえて某御仁を呪い殺してみたいらしい。

(そういや俺が見たのは足があったな)

「・・・沖田隊長は幽霊見たことないんですか」
「ねえよ。残念ながらー」
本当に残念そうに言う。そんなに見たいか。俺は幽霊だなんだというのは苦手だというのに霊体験だ。まあアレは夢かもしれないが・・・。

通路をこちらに向かってくる人が目に入った。女の人・・・まだ若いな。新しく入った食堂の従業員かな、ついでにお茶とってもらおう。俺は沖田さんと話しながらその人がもう少し近づいてくるのを待った。あの、と手を上げようとした。が。

早朝の屯所食堂にて、近づいてくる彼女は立ち働くにはふさわしくない訪問着姿で。

あらぬ方を向いた目。
近づいてくる。


「・・・山崎?」



俺のすぐそばを通って彼女は行ってしまった。草履の擦れる音。鈴の音も聞こえた気がした。足はあった。
「・・・沖田隊長今の人、」
「アぁ?」
箸を、どうなるわけでもないのにちからいっぱい握り締めた。
「今、俺のすぐ傍を、人が通って行きませんでしたか」
「・・・」

おそるおそる沖田さんを振り向くと、えらく上機嫌に目を輝かせていた。








秋も深いのに俺は額に汗を掻いた。開け放した障子からの風が冷やして行く。

「どうだィ。なんか呼べそう?」
「なんかってそんな漠然と・・・。イヤ、わかんないです」
うーん。俺は沖田さんの部屋の押入れから出てきた黒表紙の本の見開きいっぱいに印刷された魔法陣だかなんだかに手をかざす。しばらく待って何も起こらないと、沖田隊長は使えねえなあ、と心底あきれた声でうしろにひっくりかえった。当然だろう。霊感だかなんだか知らないが、俺は自分のいいように何かできる力なんか持てるはずがない。ただ、また、寝転がった沖田さんのむこうを今度は赤い着物の少女がかけていった。

「幽霊じゃないのかも知れねえなあ」
「はあ、俺もそうかもしれないと思います」
でもたった今あなたの向こうを女のこが・・・。
「・・・生霊とか・・・?」
「イヤ、お前の幻覚症状じゃねえの?何やったんだ。キノコか?」
沖田さんに言うんじゃなかったと後悔が始まる。






翌日、市中見回り前の会議にて、局長以下副長から各隊隊長を目の前にして俺は大声を上げた。・・・いやあれは本当に失態で。だって自分の中から幽霊が出てきたのだ。おそらく俺の真後ろから奴はつっきってきやがったのだ。反則じゃないのか。全く感覚はないのだが総毛だって、何か内臓的なものを持ってかれたんじゃねえかと思った。大声をあげた後固まった俺を見て沖田隊長が「見たのかィ」と・・・

「?なんだ、何を見た」
局長。
「山崎に霊感がついちまったんでさぁ・・・今、通っていったらしいですぜ、ここを、お・ば・け・が」
嬉々として沖田さん。

局長がおっかなびっくり問いただす、隊長方はひきつるわ、部下はおびえて傍から逃げるわ、状況のわからない人が囁きあっているわで、俺は居心地悪く曖昧な返事を・・・。
「はあ、まあ、じゃねえ。何言ってやがんだ」
「副長・・・」
「ふざけてんのか。法螺言って混乱させんじゃねえ」

怖いんじゃねえんですかィ。
しんとした空気ものともせず沖田さん。俺は何も言わないほうがいい気がした。でも言葉を飲んだ気配は伝わったのか、
「言いたいことがあるなら言え」
「騒がしくしてすみませんでした」
言いたいことがありげなのは副長のほうだ。

「・・・山崎、ホントに大丈夫か?だってお前・・・まっさおだったぞ」
疲れてるんじゃないか?なおも心配をつづけてくれる局長を、今日ばかりは勘弁してくれと思う。さっさと戻ってくれ。じゃないと副長の機嫌が悪く・・・ 副長は俺を刺すような溜息をついた。こえー。こっちのがよっぽどこえー。
「疲れてそんなモンが見えるってんなら有休はやる。だけど3日だ。それでその幻覚がなおらねえならお前は除隊だ」
俺より大きく局長が息をのんだ。ああもういい人だな局長。
そんな、あんまりです、見えるもんは見えるんです、俺は見たいわけじゃあ〜 なんて取り縋ろうかと一瞬思ったが俺は笑った。嘘くらいつきとおしてやる。
「わかりました」
副長はいまいましげな顔をした。




市中見回りの組は変更になって、俺は副長に呼ばれて屯所にいた。
他の皆が立ちあがって出て行く中、ひと指し指で呼ばれて、いやいやながら近づくと問答無用の拳骨が来た。
「いまので治ったんじゃねえか?」
「・・・はいそうですね」
ジャイアンめ。
副長は気が晴れたのか、人の悪い笑みを浮かべた。
「今日は残って報告書たまってんのでも片付けてろ」
「・・・午前中で終わります。午後からは出て行かせてください」
言外にそんなに溜め込んでませんと言ったつもりで、当然許可は下りると思っていた。今日は胡散臭い浪人の集まりがあるはずで、後は設備係に頼まれた用事で店を2,3件回らねばならない。

「・・・わかってんのか。幻覚なんか見ちまうお前の報告は信憑性を失ったわけだ。そんな奴に監察なんかまかせられるか」
俺はどこか浮かれていたのかもしれない。
冷水をかけられた心地だった。副長から笑みが消えている。



何か言おうと息を吸ったが、

・・・・・・・ところで俺は昨日1日で6,7人見た。2,3時間にひとりくらい。考えた結果、家庭内害虫に頻繁に遭遇しているよーなモンだと結論付けて自分を励ましてみていた。ギョっとする度合いはおんなじようなモンである(多分)。ぼつぼつそんなふうに己の視界に慣れてきてしまっていた心外だが。

だから今真面目な話をする副長の後ろを白髪のじいちゃんが通ったところで・・・・・・俺は!
「てめえの実績が惜しくねえわけじゃねえ」
やめて!そんな話キチンと聞けねえよ今!
「三日のちに大仕事があんだ。まだ皆に言えてねえんだけどよ、お前のせいで」
「あああの副長っ」
「あん?」

ぽた、  

音がした。

副長が背後を振りかえった。

(えっ 聞こえた!?)


「副長、」
「・・・」
「居ます、今」
「・・・てめえ、足りねえようだな」
「だって!そのじいさんから水が落ちて・・・」

ぽた。

「ほら!」
俺は息を潜め。副長は目の前で畳を濡らした2つぶめの水滴を見つめ。
じいさんは押入れの中へ消えた。
「・・・・・・通ってったってのか、今」
「はい」
見るんじゃない、見るならでてけというなら嘘だってつきとおしてやる。でも今のはラッキーだ。幽霊が落として行った水。副長も見た。

(これはじいさんがほおり投げられたか入水でもした、海か川の水なのか、それとも失禁なのか・・・)


副長はかがんでまじまじと水を見つめた。
「雨漏りじゃねえの」
「副長〜〜〜!」

信じてくださいよ!!、
よっぽどの形相だったらしい俺に、まだ半信半疑の副長はうるせえとまた拳骨をよこした。幾分さっきのよりは軽めの。

「フン・・・」
俺は副長の背後で息をつめ。





ところでどうだろうか。ラッキーだろうか。足のある彼らに踏みつけられても重くもなく、通りぬけられても感覚はないのに、今は水が残っている。これは変化か。

皆歩いている、走って行く、 ・・・どこへだ。




季節外れの風鈴が鳴った。
ところで屯所に風鈴はない。

(モノまで・・・)





どうやら世界がいくぶん賑やかになってしまった。


≫3

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送